あやしい
雰囲気で、おかしいと感じる。
あくまでなんとなくだが、何かを感じ取っている。
その、なんとなくや、何かとはどういうモノだろう。
ヒトは、行動する時、何も考えていないというコトはない。
欲求なり、目的を持って行動している。
同じ行動であっても、欲求や目的が違えば、ナニかが違ってくる。
ほんのわずかだが、言葉の端々、しぐさ、呼吸、それらが違ってくる。
本心と行動は一緒なハズで、それが違えば怪しいと感じる。
なんとなくや、何か違うは、本心と行動の不一致を感じ取っているから。
ハッキリと理由がわからなくても、そのヒトが何を求めているかの、思惑はなんとなくわかる。
ヒトは思惑を持って、動いている。それに、違和感がある時、怪しいと感じる。
悪いコトしようという、思惑を持っているヒトは、行動にズレが出来る。
このズレで、怪しいと感じさせる。
もちろんマチガイもある。まるで悪くないヒトを、怪しいと思ってしまうコトもあり得る。
これは仕方がない。そのヒトの本来持つモノ、そしてナリフリによって、そう感じさせてしまうコトはある。
怪しさは恐怖に直結している。恐怖があると、逆に怪しくも感じさせる。恐怖させる要素があるだけで、本当は怪しくないのかもしれない。
悪いコトをしようとするヒトは、沢山いる。行動よりも、思惑を確認したい。
身ナリよりも、思惑を確認したい。
不正を使用とするヒトは、目的が違う所にある。行動とは、違う所に思惑が隠れている。
もちろんそれは隠れている。ただ、必ず行動の端々や、最終時に何を求めているかを確認すれば、見抜ける。
ヒトは、本質をボワっとしか感じ取るコトが出来ない。仕方がない。ボワっとした中に、そのヒトの思惑を見つけていく。
怪しいと感じるのは、半分は合っている。あと半分は、思惑を見抜いていくしか、方法はない。