すぎる
自由になりすぎる。
自由になりすぎるモノは、つまらない。
自分の自由になるモノは、自分ですべてを決めなくてはイケない。実はめんどくさい。
他のヒトが動かしているモノは、自由にはならないが、自分は何もしなくてもイイ。なのでとても楽ちん。
自由に出来るモノの方が、いいようにも思うが、自分で始めて途中で自由に止めるコトも出来てというのは、意外に続かない。
DVDなどは、自分ですべて自由になるモノ。テレビは、局のヒトが流し自由にならないモノ。
DVDはいつでも見られる。それだけに、意外に見なくなる。いつでもというのは、結構くせ者で、重たい存在になるか、まるで忘れてしまう存在に変わるだけ。
自分の意志とは関係なく、流れてくれた方が、結構見てしまうモノ。その時にしか見られないという、気持ちから優先して見ていく。
いつでも見られるモノは、見ない。自分の意志と関係なく流れてくれた方が、見るのが現状。
音楽プレイヤーのシャッフルも、自分の意志とは関係ない。これが良い。自分の意志を、おおざっぱに反映しながら、他の意志で流れる。
自分の好きなモノしか入っていないので、意志はおおざっぱに反映されている。それでも、何が流れるかわからない、その裏切りが新鮮さを生む。
自分で決められるモノは、自分の中にあるモノなので、いつでも古くさくなる。
さらに自由であるというコトは、他の要素もその間に入れたくなる。とすると、長時間のモノより、短期間のモノを好むようになる。
とても、長時間のモノを楽しめる状態でなくなる。他の用事が、間に入り込んできてしまう。
長時間のモノを楽しむには、さらに自由度を無くして、劇場などの閉ざされて他のコトが出来ない所に、する必要がある。
自宅などの自由な空間、DVDや、パソコンなどの自由な環境の中では、長時間のモノは重くて楽しめなくなっている。
ヒドイ時は、早送りまでして、終わらせる。これではまるで楽しめない。
自由になるほど、短時間を求める。他の用事が入り込んで、短時間で打ち切りたくなってしまう。
他の用事に振り回されて、肝心の楽しむという行為も、散漫になっているのかもしれない。自由すぎるというのも、案外くせ者だったりする。