どれい
ずっと奴隷だと考える。
この国の中に、ずっと奴隷として存在してきた一族がいる。
時の権力者にとって、いいなりになる奴隷。
とても便利な存在。権力を不動のモノにし、無責任に破壊の行為がデキル。
すべての罪をかぶせ、いいなりになる奴隷。
もちろん普通の奴隷とは違う。権力者達の便利な道具。飢えさせるというコトはないし、位も最上級に位置する。
最上級でありながら、とても不自由。いや、一切の自由は許されない、囚われの一族。
囚われとするならば、奴隷と言うより囚人かもしれない。皇族は囚人に近い、奴隷。
今は権力者は存在しない。それは幸せかもしれない。にもかかわらず、依然として自由ではない。
みんな知っている。自由にしてはイケない。天皇を崇拝するニンゲンは、それを許さない。
許される幅は、とても少ない。それを外れれば、天皇ではなくなる。それで、その幅の中での天皇を演じる。
もしもそこから外れれば、どうなるのか。それは違和感になり、反発を生む。
存在自体が危うくなる。結局それが恐い。自由はないが、生活は保証されている。
それには、しがみつきたい。それで、求められる幅の中で、ウソでも演じ続ける。
自由であるコトが、すべて善ではない。身勝手な振る舞いは、皇族でなくても、許されない。
それでも、不可思議な奴隷のコレまで。そしてこれから。生活の保障にしがみつく、一族の姿。
現在は権力者はいない。あくまでも崇拝者が、帝国主義から継続しているだけ。それは、宗教のような依存。
帝国主義時代に、権力者達が国民を支配する為に刷り込んだ、絶対的な依存。
抜けられない依存が、支持というカタチで、現在に残り続ける。ただ、それを支持する中身は、明らかに貧弱化している。
まだ残っているだけ。かなり近い将来、この奴隷の一族は、自由を手にする。
一部の、国家主義者だけでは支えられない。帝国主義の象徴は、程なく自由を手に入れる。
即位20年。この20年で、相当変わった。帝国時代のニンゲンは、その間に相当減った。
どんどん減り続ける。依存しているニンゲンは、どんどん減り続ける。
本心。合わせているだけの、ウソ。帝国時代の依存しているヒトの為、天皇も戦後のヒトも、合わせている。それが本心。
自由を手に入れた時、ウソの時代が終わる。帝国主義のウソとインチキの時代と、やっと決別できる。
本心の時代が来る。天皇も、そのカタチかも分からないが、今よりも自由なホントウの姿になるかもしれない。奴隷とは違う、ホントウの、本心の姿。