りょうが
不満であれば、いずれ凌駕したいと、めぐらせる。
居心地が悪いので、凌駕したくなっていく。
居心地が良ければ、何もしない。何もする必要がない。
脳もカラダも、そうできている。重圧や不満に出逢った時、一番働くように出来ている。
それは、生きようとするチカラ。
ここ10年ほど、若い世代の理科離れというコトバを、耳にする。どこまでホントウかは分からないが、その現象が確かにあるならば、それはココに原因があるのかもしれない。
ヒトは、自然に脅かされて生きてきた。その中で、その自然を一つ一つ知り、凌駕してきた。
弱者であったニンゲンが、少しずつ克服してきた姿が、理科だと思う。
起こる事象を、なんとかしたい。とても居心地が悪いので、どうにかしたい。その思いで、出来上がったのが理科的考えだと思う。
もしかすると、最近はその考えを持たなくてもイイほど、満足してしまっているのかもしれない。
もう、居心地が良すぎて、考えなくても良くなってしまったのかもしれない。
凌駕しようとは思わない。その必要がない。そうなってきているのかもしれない。
条件として、不満ありきとも思う。それがないとヒトは何もしない、動かない可能性がある。
理科離れというのは、当たっているかもしれない。それだけ、不満の少ない環境になっている事実、それを認める必要もあるように思う。
まずは不満ありき。それが、ヒトの生きるチカラを導き出す。理科は、そのチカラを後ろ盾にしている世界。
条件は、不満。居心地の悪さ。生きようとするチカラで、ヒトはなんとかしようと、さまざまを知ろうとし、新たな発明をしていく。
満足は、それを阻害する。生きようとする能力は、眠りの中に。そういう事態が、起きているように思う。