れーす
いつの間にか、参加させられている。
みんなが、このレースの中に入っている。
今、流行っている婚活というのも、このレースの中にあるのかもしれない。
いや、もちろんそればかりでなく、生きていく上であらゆるコトが、レースになっている。
そのカタチを望むヒトも、沢山居るように思う。出来る限り、自分の地位を向上させたい。そう思うヒトは、沢山居ても不思議ではない。
みんながそう思って、レースをしている。少しでも条件の良い所へと、競っている。
でも、このレースは、いつの間にか参加させられているだけ。宣言すれば、外れるコトも出来るハズ。
「私はそのレースからは、外れていますので。」そう言えば、少なくとも世の中の、流れに巻き込まれなくなる。
婚活にしても、見栄の張り合いにしても、レースから外れていると宣言してしまえば、抜けられる。
いや、あくまでもその流れから抜けられるというコト。
世の中の流れというのも、いつも少しばかり違和感を感じる。向上しようという想いが、本当に反映しているか、とても疑問。
そのレースに勝てば、確かにある程度の向上は成される。ただ、それがズレがないかと言えば、かなりのズレがあるように思う。
このレースは、向上したいという人の想いが、具現化したモノで間違いない。ただ、その想い事態が実は曖昧だったりする。
いっそレースから抜けてしまう。もしかすると、世捨て人になるコトも覚悟しなければいけないが、モノゴトは違って見えるようになる。
本来有るべきカタチからは、逸脱してしまった世の中のレース。その姿が、おぼろげながら見えてくる。
ナニかに固執している。それがズレのモトにもなっている。レースをしているヒトの、そんな姿が見えてくる。
固執して、カタチにこだわって、本質からズレていく。そんな世の中のレース。一度外れた気持ちで、よく見つめて欲しい。
本質は何か?固執していないか?カタチにばかりこだわってないか?ホントウにコレでいいのか?を。