あく
悪ならば、こらしめられる。
悪ならば、排除してもかまわない。
ヒトの世界のそういうルール。
悪という存在が無くなると、この世界はどうなるだろう。
悪という存在がいなくなっても、また誰かが悪いコトをし出す。
悪いコトの見本を見ていないだけに、何の罪悪感も無しに、悪いコトをし出してしまう。
罪悪感無しにと言うのは、とても恐い。
当人が、悪いと気づかぬままに、悪いコトをしてしまう。
やはり、悪という悪い見本は必要で、抑止する為には、懲罰も必要と言える。
それで、どんなことが悪いのか、ヒトは初めて認識できる。
悪や、罪が、分かり易いカタチで示されてこそ、ヒトはそれが悪いと気づくコトが出来る。
もしもそれがなければ、ヒトは悪いコトを、ハッキリと認識するコトが出来ない。
ただ、悪用される危険もあるので、注意したい。
悪というレッテルをつければ、何の罪の無いヒトでも、こらしめたり排除できてしまう。
これはとても危険なコト。何一つ罪がないヒト。それでも悪とされた段階で、どうこらしめられても文句が言えない。
とても危険。そうならない為には、悪とされたヒトを注意深く、見る必要がある。
ダレかの尻馬に乗って、確かめもせずに悪と判断するのは、一番イケない。よく見る必要がある。
悪とは、人が悪い行動を気づく為に、そしてそういう行動をしない為にとても必要。ただ、本当に悪かどうかは、シッカリと確認したい。