ふぁん
ファンという存在は、とてもありがたい。
ファンという名の支持者が居るコトは、何よりもチカラ強い。
このファンというおせっかいなヒトが、どれだけいるかで、そのモノの勢いの良さは決まる。
イイ物が広がっていく時、このおせっかいな存在が必ずいる。
彼らを通して、四方八方に広められていく。
ただ、そのおせっかいな存在は、いつまでもいるとは限らない。
そのモノにそれだけに魅力がなければ、かなり早く廃れていく。
ファンというおせっかいな存在は、なぜ存在するのか。
満足で心地良いという感情は、自分だけで感じててもつまらないモノ。それで他の人に勧めたくなる。
これが、おせっかいなファンという存在の原理。
いかに心地よく満足させるか。それが出来れば、おのずと他のヒトに広めだす。
現在は、このファンが足りないのかもしれない。それだけの満足、心地良さのモノが、足りないのかもしれない。
心地良さは、どんな所で感じるのだろうか。
そのモノ自体から感じる。・・・・そうは思わない。そのものの魅力と言うよりも、ちょっとした気遣い、思いやりに心地よさを強く感じる。
現在の経済に足りないのは、ちょっとした気遣いや、思いやりなのかもしれない。
良いモノを作ろうとし過ぎて、効率を求めすぎて、ちょっとした気遣いや思いやりが、おろそかになってしまっている現状がある。
満足や心地良さは、実はもっと身近な所にあるのかもしれない。最先端を追いすぎて、おろそかにしている。
使うヒトの気持ち、立場。そこからくる使い勝手の良さ。そこを追求して、心地良さ満足を、感じてもらう。
そうすれば、とてもおせっかいでありがたいファンが増えていく。もしかしたら、ファンが少なすぎる。
もっとファンを増やすように。もっと身近から、もっとほんの小さな思いやりや気遣いから。考え直してみても、イイと思う。