ぼくめつ
ヒトはとても、差別する。
差別などは、もう撲滅したコトになっている。
ただヒトは、ずっと差別し続けている。
ヒトが行動する時には、必ず要因がある。
差別はどこの国のヒトもする。というコトは、ヒトに備わった何かの要因と言える。
差別とは、自分とは違うモノに対して行う。自分と違うと、思われるモノが対象。
自分とは違うので、まず自分は安全圏にいる。そして対象を、さげすみ、攻撃する。
とても卑怯な行為。なんで、そんなコトをしてしまう。その要因は。
さげすみ、攻撃を受けたニンゲンは、ヒトに対して、さげすみ攻撃をする。
実際に出来なくても、そうしたいと思うようになる。
やられっぱなしでは、保てない。自分がとても保てない。とても自分と言えないモノに、なってしまう。
そうならないように、ダレかを攻撃し出す。さげすみ出す。それで自分が保てる。自分でいられる。
それは自分だけの、自己満足。実状は何も変わらないが、気分が落ち着く。
やられたままだと、それを自分の中でくり返す。いつまでたっても、消化できず、繰り返しグルグル回る。
同じコトを誰かにやり返せれば、くり返さずに済む。すぐ消化できる。
それで、ダレかを攻撃する。できる限り安全圏から。それで差別する。
攻撃性は伝染する。伝染しなければ、そのヒトの頭の中で、消化しきれず回り続ける。
いや、誰かにやり返せれば気持ちが良い。とても癖になる。それで、攻撃性は定着する。
差別もとても気持ちが良い。結局快楽。いつの間にやら快楽に、堕ちている。それでとても差別する。
その快楽は不健全。救ってあげないとイケない。差別の撲滅は、差別するヒトを救い出すコト。
その繰り返し、卑怯な快楽から、抜け出させてあげるコト。みんながやるからこそ、やらないように務める。
そんなに難しくはない。差別するヒトに対して、君は素晴らしいと言うだけでいい。そして、だからヒトをさげすむのはやめてくれと、お願いすればいい。
みんな認められたい。誰かに攻撃されて、消化できない思いが、頭の中を繰り返しまわっていても、認められれば、気にしなくなる。
差別を無くす為には、認めるコト。そのヒトが素晴らしいと、認めてお願いするコト。それで撲滅できる。