てんごくとじごく
どのくらいの生物から、天国と地獄というのを考えるんだろう。
天国と地獄が絶対的なモノなら、ヒト以外の動物にも、それは存在するハズ。
昆虫は、死んで天国や地獄に行くのだろうか。
おそらく、昆虫は死んでも天国や地獄に、振り分けられるコトはない。
昆虫は必死にその日を生きているだけで、良い行いも悪い行いも、存在しない。
良い行いや、悪い行いが存在する生命からでないと、天国や地獄というのは、あり得ない。
すると、どのくらいの生物だろうか。よい行い悪い行い。
おそらく、同種同士でのカンケイが築ける、生物から。よい行い悪い行いは、同種同士の中でのモノ。
そうなると、群れをなすホ乳類から、というコトが出来る。
群れを成し、自分の行いを省みた時、地獄の元になる概念は生まれる。
自分の行いに対する、罪悪感。それを感じた時、地獄という懲罰の概念が、生まれてくる。
懲罰があるコトによって、生物は行動を控えるコトが出来る。
ザンネンながら、その概念を共有するには、言葉が要る。言葉を手に入れているのは、ヒトだけ。
地獄という概念を共有しているのは、ヒトだけになる。
では、天国はどうだろう。悪い行いに対して、良い行いをした時のご褒美。それが天国。
おそらく、地獄が最初に生まれ、その後に、天国が出来た。ヒトはその地獄と天国のあいだで、自分の行いを、制御してきたモノと思う。
天国は後。天国は地獄とは逆の、ポジション。ご褒美。
地獄と天国は、自分を戒めて、行いを制御する為の発明かもしれない。天国と地獄があるコトで、ヒトはヒトでいられる。そう思う。