しょくす
日々、生きていたモノを、食している。
あまり考えないようにしているが、日々食すモノは、生きていたモノ。
それを逃げずに、真っ向から受け止めれば、けっこうな罪悪感で翻弄される。
問い続けても、見つからない答えに、当惑する。
ヒトは正しくあろうとする。一転の汚れも許さず、正しく居たい。
それだけに、生きていたモノを食しているコト自体、とても許せない現実。
さらには、自分も食される側にまわるかもしれないという、恐怖もある。
絶対に食される側にはならないと思うコトも、とても都合が良すぎて、後ろめたさしか感じない。
生きるためには、食べる必要がある。いや、草食になれば、いわゆる殺す行為は、しなくても良いかもしれない。
それでも全てのヒトが、菜食になるとは考えにくい。
多くのヒトは殺してでも、食す。殺すコトを意識はしたくないので、考えないようにして、食す。
結局欲している。より、たくましく生きるためなので仕方がない。結局、欲しているモノにはかなわない。
後はそのはざまで、それぞれに行動すれば良いだけ。
結局個人に、下駄は預けられる。
いつも欲しているモノと、罪悪感のはざまで、選択をせまられる。
そして状況によっては、自分も食される側にいるコトに、違いはない。それで良いと思う。
その現実を見るか、逃げるか、それもはざま。そのはざまの中で、どう行動していくのか。それは任せられる。
あえて、答えは作らない。ひとつ言えるのは、一点の汚れもない正しさは、違和感があるというコト。
いわゆる悪になってもイイと思う。悪を背負っても、イイと思う。悪を直視しながら生きる。それで少しスッキリする。