いきのこる
生き残るのに、必要な分の食べ物があれば、生き残れる。
生き残るのに必要な分の食べ物は、どのくらいなのだろう。
生き残るのに必要というのは、死なないレベル。
死なないレベルで良いのであれば、ほんのわずかで済むと言える。
確かに、生き残るだけで良いのであれば、それでコト足りるが、それだけでは味気ない。
お楽しみが欲しくなる。お楽しみで、幸せな気分になれる。
生き残るコトが満たされれば、次の段階はお楽しみ。幸せな気分を求める段階に入る。
お楽しみが得られれば、それで満足だろうか。お楽しみの食事があれば、それでイイのか。
お楽しみの食事で、幸せな気分になっても、隣のヒトがもっとイイ物を食べていれば、それを欲しくなる。
幸せな気分ではモノ足りない。優位に居たい、虚栄を求める。
生き残るテーマが、お楽しみのテーマになり、虚栄のテーマに変わる。
ヒトが求めるモノは、どんどん贅沢に変化するが、おそらく誰も気づかない。
いつの間にか、満たされ続けてもそれに気づかず、まだ欲し続ける。
生き残りをいうヒトは、本当に生き残りというモノを、理解しているのだろうか。
そういうわたし自身も、お楽しみと虚栄の中に、ドップリと浸かっている身。
偉そうなコトを、言う資格などない。
あくまで確認。自覚するためのモノ。
自分のテーマは、生き残りか、お楽しみか、虚栄か。
この豊かすぎるクニの中で、それを自覚した時、私たちはどういう生き方をするのか。確認と自覚、ダメな部分に突き刺さっていく。