ちどく
文章をもっと速く読めたらと、みんな考える。
それで走るように、飛ぶように、読み進める。
時間に追われているので、仕方がない。
いや、速く読めた方が能力が高いという認識に、追われているのかもしれない。
囚われているその認識と、おさらばして、あえて歩きの速度で読んでみる。
とってもゆっくり、言うなれば遅読。
すぐに走りたがるが、あくまで一語一語歩く。
一語ずつ、イメージをして、それが出来てから次の語に進む。
言葉をイメージして、イメージできるのを待って、読み進める。
言葉の組み合わせ、イメージの組み合わせの確認をしながら、歩いてみる。
とくに難しいモノ、不得意なモノの時には、そうする。
走りの速度で呼んでも、まるで理解できない。呼んだという事実は残るが、流れているだけ。
遅読ならば、一語一語が軸になってくれる。揺らがない軸になって、頭の中にどっかり腰を下ろす。
わからなくても、腰を下ろしている言葉は、そこに居るコトが出来る。
歩くように遅読する。そうすれば、自分にあった読む速度が、自然とわかってくる。
文章はいろいろあるので、読む速度もいろいろあって良いハズ。それなのにみんな走りたがる。
まずは歩く速度で読む。それから、自分にあった速度にしていく。それで、本当にそしゃく出来るようになる。そう思う。