すててる
モノも情報も、たくさん捨てている。
モノもたくさんあって、情報もたくさん手に入れるコトが出来て、それだけにたくさん捨てている現状がある。
これだけの情報、身につければとても役に立つと思う。
でも、ありすぎてとても消化が追いつかない。
未消化のまま、捨ててしまっている。
捨てているのは、素晴らしい宝なのかもしれない。
情報が少なければ、選ぶコトも出来ず、それだけで済ますだけ。
足りなければ、自分で創って補う。もしかすると、現代のヒトは、自分で創るコトをしなくなっているかもと思う。
足りなければ、補うが、現在はあふれて、たくさん捨てている状況。
良いモノを手に入れた時のドキドキ、それを何度も思い出す反芻も、現状弱くなっている。
情報が少ない環境の方が、良いモノに出会えた時の感動は、大きいかもしれない。
この多すぎる情報達と、どうつきあっていくのが、いいのだろう。
結局消化も出来ず、自分から創るという作業も、できなくなってる現状。
多くなれば、ブレていく。そして自分からのアプローチも、弱くなる。
そこで、あえて全て見ない。情報を破片だけしか見ないようにしてみるのはどうだろう。
全て答えまで見てしまうと、安心してしまう。安心だから、その後何もしなくなる。
もしも破片だけならば、そのあと気になって仕方がない。その気になって仕方がないってのが、重要と思う。
どうせ未消化のまま、捨ててしまう情報。破片だけで、あとの部分を補っていく、その行為に賭けてもいいように思う。
マンネリのウンザリは、多すぎる情報からも、生まれる。あえて情報は破片だけにする。
それで、現在では失いかけている、補い創る行動もよみがえるかもしれない。あえて破片でやめておく。情報の意味が、変わるかもしれない。