ざんこく
ヒトは時に、とても残酷なコトをする。
残酷だと感じさせるのはヒトだけで、動物が同じ行動を取っても、残酷というコトバは、当てはまらない。
残酷は、ヒトの行動に対しての、感情。ヒトにだけ、感じるように出来ている、不快な感覚。
行動というのは、とても自由で、そのヒトのその時の思いで、どうとでも動ける。
それで残酷な行動も、崇高な行動も出来てしまう。
自由すぎるヒトの行動に、ある程度の歯止めをかけたい。
ただし、自由度は残したい。
その中で、生まれたのが、残酷という不快な感情。
それで、自由すぎる行動に、歯止めがかかる。残酷だと感じるコトは、したくはない。
ただ、残酷な行動をしておきながら、目を背けるのは、虫がよすぎる。
コレは背負わなければイケない、目を背けてはイケない事実。
ヒトは生きるために、必ず残酷な行動をしている。
それでいいと思う。いや、もっと罪悪感を背負って、生きていかなければならないとも思う。
残酷はイヤな感情だが、やさしさから来てるとも言える。相手に対してのやさしさや思いやりがなければ、残酷とも感じない。
残酷や、罪悪感から目を背けては、やさしさや思いやりまで、否定するコトになる。
目を背けてはイケない。それこそが、とても大切なやさしさや思いやり。
残酷なコトは避けたいが、同時に背負っていきたい現実。
自由すぎる行動に歯止めを。そして、やさしく思いやりを持てるように、シッカリと残酷な行為を受け止めて、生きていく。それはとても必要なコト。