つむぐ
なぜ毎日、つむぐ。
それを止めれば、とてもラクになるのに。
それがなければ、生きている感じがしない。もしくは無くなってから、抜け殻のようになってしまう。
このブログも、毎日紡いでいる。やめれば時間も出来るし、とてもラクになる。
ただ、この毎日のブログをやめれば、人生の基軸を失い、ただ生きているだけになる。
答え無き答えを見つけ出そうとする、毎日の格闘が、生きているコトを自己納得させてくれる。
毎日の苦しみ、その紡がれる行為が、生きている基軸を構築させる。
生きている基軸があるコトは、何よりも幸せと思う。
それは、自分では気づいていないかもしれない。それでも、日々苦しんで、格闘しているコトがあれば、それが基軸かもしれない。
長丁場の人生で、見失いがちなテーマの後ろ盾となるモノが、日々の紡がれるモノ。
その苦しみが何のためにあるのかと疑問に思った時、その苦しみが無くなってホントウにいいのかと、考えてみる。
それがなくれば、たぶん抜け殻。実はとても大切な中身だったりする。
生きているだけで勝利者、たくさんの敗者の上で自分は成り立っている。そのさらに、次の段階のテーマ。
そのために、日々の紡ぎ。日々の学び、日々の積み上げ。それで、生きている中身が出来上がる。
ふりむけば、その中身が自分として出来上がっている。一日いち日、一目ひと目紡がれていると思う。