にもようきゅう
完全に死がおとずれた証拠が、カラダが冷たくなる状態。
よくニュースで、すでにカラダは冷たくなっていたと、表現されるモノ。
生きている者は、熱を絶えず放出している状態にある。ぬくもりをいつも、かもしている。
もしもぬくもりがなければ、それは生きていると言えるだろうか。
情報は、答えを与え、生活になくてはならない大切な、要素。
ただ情報は、暖かみとしてのぬくもりを、伝えるコトは出来ない。
ぬくもりがなければ、それは死かもしれない。生きていないモノに囲まれて、現代人は生きているのかもしれない。
情報は残酷。数字やランクに置き換えて、簡単に処理してしまう。
高度なコトは可能にするのに、大切なぬくもりは置き去りにしてしまっている。
その中でのヒトは、生きていないのかもしれない。
生きるコトは、情報が求めるほど、高度でなくてもイイのかもしれない。
沢山の生きていないモノに囲まれて、残酷に切り刻まれて、ぬくもりに不慣れでおびえたりもしてしまう。
生きてたら、もっとうまくいかなくてイイのかもしれない。ぬくもりは、もっと沢山許しをくれるかもしれない。
ぬくもりの世の中は、それほどヒトにも要求しなくなる。要求しすぎ。それは情報だけの世界。現実に不可能なモノを、求めすぎ。
それでは怖くなる。無理な生き方を自分にも、要求している。それは自分をダメだと感じるはず。
そこまで求めない。要求しない。もっとぬくもりを、それでホントウに生きていける。要求はホドホドに。