すごろくも
このブログは、ワタシの傲慢さでかかれてる。
この突き上げる衝動こそ、激しい傲慢さの源流。どうやらエネルギーはその傲慢さになる。
では、傲慢さのいきつく先は、なんだろう。
裏切れないこのカンカクに押し上げられ、ヒトを蹴落としてでも、のし上がろうという傲慢さに支配されていく。
ただ、実際のし上がってみると、おそらくは愕然とする。そこに広がるのは、絶望的なつまらなさ。
感情の指し示すままに突っ走って、たとえ頂点に立っても、求めるモノはナニも無い。
たたずみながら嘆く、目的はこんなモノではないと。
傲慢さのいきつく先は、むなしさが転がるだけ。手に入れた頂点は、孤独で儚いだけで、ナニも無い。
カンタンに頂点につくほどに感じる、この裏切り。
スゴロクで、フリダシの次のマスがすぐアガリでは、何も面白くないのと同じ。
ゴールなんて望んでいない。頂点なんて望んでいない。その途中を何より、楽しんでいる。
スゴロクも、フリダシとアガリの間の、苦悩と挫折と、幸運と成功を味わって喜んでる。
傲慢のすさまじいパワーに押されても、そのゴールには何も用意されてるワケもない。お楽しみはない。
お楽しみは、途中にまぶされている。苦労とか、成功とか、上がって下がってが何よりのお楽しみ。
ワタシを含め、自分を突き動かすモノこそは、傲慢さ。ただ、お楽しみは、その途中のあがりさがりにある。