のもちぶん
大人なら、その時どうするべきだろう。
甘えているか、甘えさせているかで、どちらに問題があるかは決定する。
大人たちは一生懸命やっている。それでも日々の忙しさに、立ち止まってまでは、考えあぐねない。
一昔前には、甘えが許されなかった時代が、広がっていた。
現在それと同じ状態になっても、子供たちに求められているのは、違うモノ。
昔に帰るコトでは、解決にはなりようがない。
具体的に選択肢をしめす。子供目線で、どうするかまで大人がしめしてみる。
子供は知るほどに、選択肢が少ない。具体的に、現実的にデキル事など、無い可能性もある。
なのに大人はラクをして、求めるモノだけ求めている。どうも大人は手を抜きすぎ。
甘えているのは大人で、甘やかしているのも大人。子供に対しての批判は、全て大人に返ってくる。
具体的に何が出来るか、ナニをすべきか。大人だって、そんなに選択肢は用意されていない。
それでも子供よりはマシ。大変なだけで、道は作ればある。
要求ではなく、具体的な体験までさせられれば、子供は自分の力で、強く歩き出す。
自分の力で強く歩き出しているモノに、甘えはない。あまりにも、手を抜きすぎて、安易に与えすぎている。
その子の目線、その子の未来。それを見据えて、手を抜かず具体的を、あぐねて苦しんで、絞り出す。それこそ大人の負担分。