ガラリと
世の中に認知されすぎている、“しごと”という表現を、あえて変えてみる。
”しごと”というだけで、成立しすぎていて、中身を確認するコトがお留守になる。
”しごと”を“お手伝い”という表現に、置き換えてみる。
”しごと”ならば肩書きだけ言えば、それ以上追求されない。ただ、“お手伝い”なら違う。
どんな手伝いなのか、ダレの手伝いなのかを必ず訊かれる。成立していないから、中身を問われる。
手伝いは主体性を持たない、格好がつかない貧弱な盾。それでいい。それで中身を問われるようになるから。
まず主体となる、ダレの為にが必要。さらにはどんなという中身が必要。それを付けないと、格好がつかない。
さらにお手伝いとすれば、勝ち負けもいらず、周りに高い塀を築かなくてもよくなり、コミュニケーション能力が格段に上がる。
仕事を失うと、自分を責め、あまりの失望に動けなくもなる。お手伝いを企業から断られても、次を探せばいいと、すぐに動きだせる。
仕事は仰々しくて、重たすぎる。お手伝いなら、そのお手伝いをする為に、ナニを身につけようかと、軽い気持ちで効率的にスキルも身につけられる。
お手伝いは、難易度をグッと下げて、質をドーンと上げる策略。
格好のつく”しごと”などいらない。格好のつかない、“お手伝い”にすり替える。
たったソレぽっち。それで、世の中はガラリと明るく、そしてより高い質に、飛躍し始める。
仕事を全てお手伝いに。きっと気づかなかった、ホントウに自分のするべきコトが、意識の内奥に現れるハズ。