ヒトたちのプラン
それぞれあまりにも違う、人びと。
チガウ人びとも、根本の部分がまるで違う、という事ではないらしい。
ではヒトたちの、共通したプランも、作る事が出来るかもしれない。
それぞれと言っても、根本に流れるそのテーマは、非常に近しい。
ならば、ヒトとしての、または次の段階にいくための、プランを作れるかもしれない。
ヒトは自分が一番大事な所から始まり、ヒトを傷つけていく。
逆にヒトに傷つけられたヒトは、未来を悲観し、絶望に立ち止まる。
絶望でうずくまるヒトは、同じうずくまるヒトと手を取り、また歩いていける。
または、誰かに手をさしのべてもらって、歩き出す。
そして自分以外の誰かのために、手をさしのべられるようになっていく。
コレが大まかなプラン。ただ、最初の自分が一番大事という欲求は、ずっと残り、自分を試し続ける。
その自分が一番という考え方との、共存の仕方を、身につけていく必要もでそうだ。
プランのいろんな段階、そのヒトの持っているチカラの大小で、いろんな状態に変わる。
自分が一番大事で、ヒトを傷つけても何も感じない段階の時、強大なチカラを持っていれば、相当の破壊者になってしまう。
逆に手をさしのべる段階で、強大なチカラを持っていれば、救世主にもなれるかもしれない。
いや現実問題、破壊者がいると困る。プランを用いて、どの段階か破壊者に示したい。
なるように、筋書き通りに破壊者になっている、そのコトを是非、認識、確認してもらいたい。
そして、そのチカラで救世主になれる事も、理解してもらえるよう、務めたい。
傷つけるか、さしのべるかの違いで、破壊者が救世主にもなる。
チカラが無くても、身近なヒトだけでも、救える存在には成れる。
チカラがあるヒトも、チカラがないヒトも、それぞれのプラン。
たくさんの失敗を、ヒトたちはしてきている。でも、もうしなくてもいいのかもしれない。
根底に流れている共通するモノ、それに沿ったヒトたちのプラン。これからのヒトたちのプランが、作れるかもしれない。そんな風に思う。
旅行のため6日まで、ブログを休ませていただきます。