最後の判断
最後に判断しているのは、誰だろう。
脳は、大まかなイメージは判断している。
いくつかの、単純なカタチに反応して、大まかなイメージは作られる。
では、最終的にそれを正しいと判断したり、思い出したりしているのは、誰だろう。
いくつかの反応、曖昧でありながら、何となくというイメージ。
その曖昧なイメージから、ハッキリと思い出したり、正しいと判断したりしている。
それはいったい誰だ。
おそらく虫食いを埋めるように、とぎれとぎれの線を繋げるような事をしていると思う。
その自分は、誰だろう。
その働きをしているのは、どこの機関だろう。脳だろうか?
脳だとすると、原始的な脳か。たしかに今が安全か危険かは、原始的な生物も、判断はする。
複雑な記憶は、大脳にまかせ、最終的な判断は、原始的な脳でしている。確かにそれだと納得できる。
という事は、さいごの判断は、原始的な脳。さいごの判断をしている自分とは、どおうやら原始的な脳だといえる。