マイニチたくさん、エツランありがとうございますね。
トモダチ
あの感覚は何かな?
もしも、カラダに不自由がある人がいて、その人に対しての気持ちだよ。何となくイヤだなとか、思っちゃうんだ。極力近づきたくない。そんなことを考えるよ。で、そんな自分が、またイヤなんだよな。こりゃ一体どういうコトなんだ。
いっそ、体に不自由がある人を、差別すればいい。思うままにバカにして、笑ってればいいよ。そうだ、気持ち悪いとか、かわいそうとか言って、いい気になってればいいんだ。それがみんなの本心だろ。どうなんだ?これ、実際あたってると思うね。残念だけどそれも事実なんだよ。
どうやらね、カラダに不自由がある人を、心の深い所でね、もうひとりの”自分”て感じてるみたいだよ。だから、それが動物だったらね、カラダに不自由があっても、切り捨てられるんだ。ホントだよ。自分とチガウって、割り切れるんだ。でも人間だとちょっとチガウの。もうひとりの”自分”だからね。カラダに不自由があると、自分はそうなりたくないって思うんだね。で、それが逃げたいなって気持ちになる。もう一つの気持ちは、助けたいだ。本心だよ。純粋に両方が、存在するみたいなんだ。みんなね、なんとかしたいし、逃げたいしなんだって。両方なんだよ。両方だから、どっちにも行けるんだけどね。
助けるって言うのも、おこがましいんだ、実は。もしかしたら自分が助けられるかもしれない、勝手に自分が助けると思いこんじゃってるんだよ。そういうとこあるでしょう?
助けようじゃなくてね、・・・・トモダチになればいいんじゃないかな。もうひとりの自分だからね。拒絶する必要もないし、背負いすぎる必要もないよ。トモダチになってさ、楽しんじゃえばいいみたいだね。同じ時間を共有すれば、アトは何もいらない。背負わなくていいよ。トモダチだ